活動記録
| 中川 賢一
久しぶりの対話集会
地域の方々と久しぶりにじっくり2時間近く意見交換ができました。
司会の流れでオリンピックの賛否が問われ、
賛成 7
反対 16
わからない 1
正直もっと反対が多いと思ってました。
これを受けてボクからは、
・東京オリンピックの不祥事で明るみになった「大規模スポーツイベントの闇」からの脱却は議論の大前提。それなしのオリンピックの是非を問うても無意味。解消できなければ招致すべきではない。
・不祥事以外でもそもそも招致機運が盛り上がっていないのは、8年間「レガシー」や「子どもたちに夢を与える」などのいい加減で抽象的な意義しか市民に提示しない(できない?)まま、招致の「可否」ばかりにフォーカスしてきたことのツケ。
・1972年オリンピックには「街をつくる」という、当時の原田市長の強烈な目的意識があった。当初50億円と見積もった開催経費は最終的に40倍の2000億円以上に上り批判に晒されたが、会場整備など直接経費は180億円程度と1割にも満たず、大半が道路や上下水道、地下鉄などのインフラとして将来に残る「投資」であったことを市長は自信を持って主張した。
これらのことをボクのブログを印刷したものを配って説明。
【参考】
「聖火が燃えるまで」原田輿作 元札幌市長の哲学と執念
前編 https://daisukisapporo-blog.com/haradayosaku_biography/
後編 https://daisukisapporo-blog.com/haradayosaku_biography2/
・よく言われる、「オリンピックに使うお金があるなら除雪に回せ、福祉に使え、などなど」という議論は、是非は別として、残念ながら現行のわが国の財政制度の下では、ほとんど成り立たないこと。逆にオリンピック関連事業として、雪対策インフラやバリアフリーなどの整備も期待できること。
などをお話しさせていただきました。
賛否は別として、オリンピック開催の意義や影響などについて、多少なりとも多面的な角度からご理解いただけたのではないかと思います。
オリンピックに止まらず、あらゆることにおいて、近年こういう丁寧な対話をする機会が減っていることが、政治不審や行政批判に繋がっているんだろうなと改めて感じました。